1ヶ月間に渡ったプレミアム・ミニバン(SUV)探しの旅も終わりのときを迎えました。
7月に車検、そして4月に転勤が決まったことから、2月中に結論を出すことは決めていました。慌ただしくなる3月下旬までに手続きを終えたかったこと。そして、並行輸入の場合には納車が5ヶ月かかることが分かっていたので、2月がタイムリミットでした。
ふり返ってみると、結局一番初めにいいなと思っていたところにもどってきました。自分を納得させるための確認の旅だったようです。一目見たそのときから決まっていたのかも知れません。でも衝動買いではなく、この車こそが最高の条件で一番欲しかった車なんだと自分を納得させるために・・・
今思い返すと、ショップの対応による購入心理と運命的なものに踊らされていたように感じます。
あるディーラーの営業の方は、車高問題のことで数日後自宅まで確認に来てくれました。しかし、ちょうどその日は長男がインフルエンザにかかり寝込んだ日でした。何もこんなときに来なくても・・・営業の方の熱心さが逆に妻の心証を悪くしてしまいました。一日前か一週間後だったら結果は違ったかもしれません。
別のディーラーは決定直後に電話をかけてきました。すでに決めてしまったことを伝えると、自社の車に足りなかったことは何かを聞いてきました。何点か選考基準の話をすると、次回検討時にはその欠点がなくなっている自社の車があるように努力したいと言って電話を終えました。些細なことですが、たいへん好感の持てる営業の方、会社だと思いました。こうしたことの積み重ねがいつか花開くことでしょう。
あるショップは、ちょうどメールで打診をした次の日に807を見ることができると連絡をもらいました。長男の具合も良くなっていて家族全員で見に行き、妻の最高評価を得ました。この時点では運命的なものを感じて、一気にオプション検討をして見積もりや納期の相談まで話が進みました。
しかし、このショップは、些細なことですが私の心にトゲを刺しました。807もいいのだけれどC8はどうだろうかと聞いたときです。C8は中身は807と同じで価格が高くなるので、その価格ならランチア・フェドラの方がいいですよと答えが返ってきました。なんとなく釈然としないまま店を出ました。経験のないC8を輸入することになると手続きや費用が大変なのは分かりましたが・・・C8はよくない車だよ、C8が欲しいのなら他の店に行きなさいと言っているように聞こえてしまいました。807は最終候補として残しましたが、買うなら他のショップにしたいと思いました。
別のショップでC8の検討に入りました。このショップは上に書いたショップとは逆に、フランス車ならどんな車でも私の希望するものを輸入するという姿勢を見せました。C8のルーフバーやアンテナが問題ならば、外して別のものを探すので大丈夫ですとの言葉も返ってきました。マニアではないけれどこだわってシトロエンC5に乗っている私の心をくすぐりました。
しかし、こちらのショップは運命に見放されていました。私自身がしばらくC8を候補から外してしまっていました。やっと気付いてこのショップに連絡をとったときには、社長がフランスに旅立っていました。その間にエスパスの話が一気に進んでしまいました。でも、エスパス契約前に話をしてみたいと思い連絡をとると、私の都合のいい日には他のユーザーの納車に出かけているとのことでした。運命のいたずらはC8を選ばせてくれませんでした。
そしてエスパス。初めからこの車が私を呼んでいたように感じています。
2002年ジュネーブショーレポートで注目していたのはC8の方でしたが、レポート後半に載っているエスパスにも興味をひかれました。国内ディーラー車から並行輸入車へ候補が広がったときに、1台のエスパス展示車が売りに出ていることを見つけました。色は私好みの薄水色で、オプションとして付けるつもりのパノラマルーフと革シートも付いていました。しかも、並行輸入は実車を見られない、乗れない、納期がかかる、価格が高い・・・といった問題点を全てクリアできる車でした。1年間ショップ展示車としてナンバープレートも付けずに置かれていたということです。途中のブログに書いていますが、エスパスはスライドドアではありません。この点だけが不満です。でも、使い方でクリアできることであると判断しました。
1年間の展示を終え、会社名義で登録してナンバーを付けインターネットに掲示したら、すぐに私から問い合わせが入ったということでした。本当に偶然のベストタイミングだったのです。中古車扱いとなるためルノー・ジャポンの保証を受けられないことが残念ですが、走行距離はわずか300キロで車検も丸々3年あります。私の後に、他のショップも含めて数件の問い合わせがあったそうです。そう言えば、試乗に行ったときも数組の親子連れがエスパスを眺めていました。もしかしたらずっとエスパスを求めていた人もいたかもしれないのに、不思議な運命で私のところに来ることになりました。
最後にドタバタと決まったのでしょうか・・・探し始めた1ヶ月前に心は決まっていたのでしょうか・・・それとも2002年の発表のときから決まっていたのでしょうか・・・自分にも分かりません。
本ブログをお読みいただいている皆様、第1部は終了いたします。
乱文・長文・駄文にお付き合いいただきありがとうございました。
近日(3月下旬)、ルノー・グランエスパスの日記ページとして再スタートの予定です。
ご興味がありましたら、この第2部の方もよろしくお願いいたします。